真夏のアラスカが14,873キロの旅のスタート
アメリカ合衆国のアラスカ州第2の町、フェアバンクス。
2007年6月、アンカレッジをスタートして10日後に僕はこの町に辿り着いた。
予想に反して、すごく暑い。北緯64.83度にあり、冬にはオーロラを見ることができる町に来ているとはとても思えない暑さだ。
調べてみると、フェアバンクスなどアラスカ内陸部では夏と冬の気候差が激しく、冬はマイナス30度にもなり、川も車が通れるほど完全に凍結してしまう。
だが、一方で夏は22度まで温度が上昇する。
最高気温は33.9度という記録があるそうだが、僕が見たアラスカ州立大学フェアバンクス校の温度計はその日、なんと32度を指していた。
あと数ヶ月したら「氷の世界」がやってくるとは、とても想像できなかった。
白夜の大地をハイペースで走り始める
自転車で北南米大陸を走ろうとアラスカにやってきた僕にとっては、これが初めての海外の旅だった。
針葉樹の森を貫いて一直線に延びる道。
ペダルを漕いでいると突然現れる大小いくつもの湖。
エメラルド色に透き通る湖の美しさに魅了され立ち止まると、体長2メートルはありそうなムース(ヘラジカ)が森の中から顔を出す。
ゴールドラッシュに沸いた“ラストフロンティア”。アラスカにはこの言葉がよく似合う。
今回の旅は、1年かけてアラスカから南米大陸の最南端の町・ウシュアイアまで自転車で走る計画である。
途中、中南米は飛行機でパスするが、計画通りに走ると総走破距離は1万4千キロを超える。
十年越しの夢の実現を目の前にし、僕は張り切っていた。
すべては順調に進んでいたが、ハプニングが起きたのはそんなときだった。
フェアバンクスを出てすぐに体調がよくないことに気づき、無人のキャンプ場を見つけてその日は走るのを早めに切り上げた。
しかし翌朝、体調はさらに悪くなっていた。
悪いことは重なるもので、キャンプ場にある熊避けのためのフードボックスに入れておいた新品のバッグをリスにズタズタにされた上、中に入れたあった食料の半分以上を食べられてしまった。
そして熱が下がらないまま迎えた4日目の朝、とうとう食料が尽きてしまった。
救急車で病院に搬送される
初めての異国の地で周囲は無人のうえ食料もなく、このままでは死んでしまうかもしれない、と真剣に思い始めた僕は、大げさかもしれないと思いつつ助けを求めようと、テントのファスナーを開けて外を見た。
すると、サイレンがついた車がこちらに向かって走ってきている。
僕は自分の目を疑った。
一日に一台、車が通るかどうかの交通量しかない無人のキャンプ場に、一台の、しかもパトカーが現れたのだ。
僕は唖然としながらも急いで駆け寄り、身振り手振りと片言の英語で必死に現状を伝えた。
こうして救急車を呼んでもらうことができ、しかも救急車には乗せられないと一旦は断られた僕の自転車のために、隊員の一人がわざわざピックアップトラックを調達してくれたおかげで、僕と自転車はフェアバンクスにある病院へと向かうことになった。
診断は軽い肺炎だった。
薬をもらってすぐに退院できたが、最低1週間は自転車に乗ってはいけないと言われた。
旅はスタートしていきなり小休止となり、転がり込んだ宿でしばらく養生することになる。ここで、僕にとって「アラスカの母」となる宿の女主人・ビリーと出会うのである。
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